2018年09月07日

月と一緒に夢を見ていた、その夜に



9.5(水)

朝目覚めた時、自宅付近の停電は復旧せず。夜中、妻の友人知人のSNSや連絡で知ったのだが、御坊市内は停電がほとんど復旧しているようだった。これもどうかと思うが、会社からは何の連絡もなかったが、台風が直撃しても休ませてくれないのが普通なので、当たり前に出勤だろうと思い家を出る。工場は眩しい位に電気がついていた。

工場で工員のみなさんと情報交換していると、御坊市内組は割と早く電気が通った人がほとんどで、まだ停電が続いているのは僕の自宅付近だけのようだった。瓦や屋根が損壊した、等の停電以外の被害も多かった。この時点で停電していない実家への避難をすることを決め、一足先に妻と娘はそちらへ向かうように連絡する。

たかだか自宅が停電しただけだが、なんとなく尻のあたりがソワソワする。が、どうしようもないので働いた。これくらいで動揺してしまうのだから、大きな災害に遭われた人の気持ちを考えるとやりきれなくなる。そしてオタオタしている自分が情けないとも思ったので、気分転換にラジオでもとタイムフリーで粋な夜電波を聞いた。この番組は何か大きなことがあると音楽がたくさん流れる。そして、とてもタイミングがいいことに、その約1時間ノンストップで音楽が流れる特集回だった。今回は「終戦特集ノンストップDC/PRG」。聞いている内に気持ちが少しずつ落ち着いてくる。音楽の凄さや万能さを知っているつもりだったが、再確認した。というか、本当にはわかっていなかったのかも知れない。続けて、アトロクに曽我部恵一が出演したライブコーナーの部分をタイムフリーで聞いた。こちらもとても良い演奏だった。たった3曲だったので久しぶりに「もっと聞きたい」と本当のアンコールを望んだが、それは勿論叶わない。次に関西に来たら必ずライブに行こうと思う。

労働が終わり実家に帰ると、電気がある、クーラーがある、というのはなんと素晴らしい事かと思った。風呂にも入れるし、スマホを充電できる。この停電で、自分がいかにスマホに頼りきった生活をしているかわかったし、もうスマホや携帯電話が無かった頃のようには生きられない。それはそれとして、冷房があるので、娘が快適に眠れるのは嬉しい。これだけでもだいぶ違う。






9.6(木)


実家で目を覚まして出勤の用意をしながらテレビをつけると、北海道で大きな地震があったというニュースが流れた。何というタイミング。天災なので仕方がないさが、日本中ガタガタやないか。自宅付近は引き続き停電していた。

労働して実家に帰宅。夕方になっても自宅は引き続き停電。妻が職場の食事会に出かける予定があったので、たった2時間だけど妻と離れた状況で娘の子守をする事になった。実家なので両親がいるが、この人見知りの激しい娘を僕と両親と3人だけで面倒を見れるのかと心配したが、思ったよりも上機嫌で遊んでくれたおかげで、あっという間の2時間だった。うちの娘は天才かも知れない。




妻と入れ違いに今度は僕がスタジオに練習に行く。8日(土)に那智勝浦のカフェアマアイでのライブのための練習をするためである。この日は東京を中心に活躍するSSWかみぬまゆうたろう氏の新アルバム発売記念ツアーの1つに前座として参加するのだ。(和歌山市から一本松さんも参加) 少し遠いけれどドライブがてらお越し下さい。南和歌山の音楽好きは全員参加が決定してます。


それで練習したのだけれど、Ska-ing Westのライブだ、レコーディングだ、停電だの何だかんだでギターにほとんど触っていなかったので、序盤はまあ指が動かない。さすがに2時間くらいすると本来の調子に戻ってきたが、はてさてどうなるものやら。少し不安になってきた所で大雨が降ってきた。それで、帰ろうかと思った所に自宅の停電が復旧したという連絡が入ったので、自宅の状況を確認しに行く。見事に何もかもが元通りだった。声を上げるほど嬉しかった。それから実家に戻ると、なぜか真っ暗。もう全員寝たのかな、と思って家に入ると、雨が激しくなった頃から停電しているという。なんだそれは、と呆れたが、もうすっかり慣れたもので普通におとなしく寝た。日頃の行いが悪いせいか、僕がいる所は停電するみたいだ。  


Posted by スギーリトルバード at 19:50Comments(0)日記